2025/05/30

ハゲタカ4 グリード(真山仁)

今回は、リーマン・ショックを舞台に日米ハゲタカが激突する。リーマンショックをもたらしたアメリカ全体を覆う強欲(グリード)とその代償がテーマとなっている。

日本のハゲタカ鷲津は、前作「ハゲタカ3 レッドゾーン」のジェットコースターのようなアカマ争奪戦の最中に、なんと渡米していた。

そこでアメリカの住宅ローン債券のCDSを買い漁り、次の買収の標的を、アメリカの心とも言える老舗製造業、その名もアメリカン・ドリーム社(AD)に定め、工作を始める。

鷲津は、アメリカの住宅ローンバブルの崩壊と、世界経済の甚大な被害が間近と読み、アメリカを貪り喰う仕込みをしたのだった。

同じ頃、ADなどアメリカの優良企業株を多数保有し、市場の守り神と言われる投資家ストラスバーグも経済危機を予見し、警鐘を鳴らしていた。

しかし、市場原理主義のアメリカ政府と、危機を直視しない投資銀行の動きは鈍く、ついに投資銀行の破綻が始まる。「次」を巡り市場は疑心暗鬼に覆われ、サブプライムローンに傾斜していたゴールドバーグ・コールズ(GC)も候補にされる。

以前から鷲津と微妙な関係だったストラスバーグだが、ADやGCを巡り鷲津と敵対関係になり、アメリカ政府をも巻き組む激闘が始まる。

そして、今回のストーリーを動かすのが「明」と「暗」だと思える。

「明」はハゲタカの周囲にいる真っ直ぐな若者たちだ。

まず、GCでストラスバーグを担当する平社員ジャッキー、GCの創業者の孫にして、ストラスバーグのパシリ役。

アランを失った鷲津の元には、リンが名家の御曹司アンソニーを連れてくる。アフリカ支援のNGOから来た純粋な好青年で、鷲津の鍛えたいという血が騒ぎ出す。

二人とも、ハゲタカ達の周りで右往左往し、時に鷲津やリンから劇薬を飲まされながら成長していく。

「暗」に位置するのは、ストラスバーグはもちろんだが、鷲津とは腐れ縁で元メガバンク頭取の飯島。アンソニーの伯父のニュージャージー州ケネディ知事あたりか。

彼らそれぞれの心の奥底に眠る暗部も、鷲津の買収工作を触媒に次第に表に曝け出される。

シリーズ全体がそうだが、緊迫感とリアリティに富んだ経済描写、投資ファンドの裏側や企業買収の戦略、国家とマネーの関係の巧みな説明に感心させられる。
読み進めていくと明と暗が重層しながら、次から次へと新しい展開が現れ、本を置くタイミングを測り難くなった。

※ CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)
 対象の債券がパーになると大儲け、予定通り償還されると紙くずになるデリバティブ商品

※ AD社・GC社
 いずれも架空の会社
 AD社はGEのような総合製造業で、GCはゴールドマン・サックスのような投資銀行
 鷲津のパートナーのリンは、GCの元副社長という設定

2025/05/23

警視庁情報官 ブラックドナー(濱嘉之)

警視庁公安部の敏腕情報官の黒田警視が、世界を股にかけた臓器売買ビジネスの闇に斬り込む。

久しく姿を見せず重病説が流れていた暴力団の組長を黒田警視がハワイで目撃するところから事件が始まる。
実は重病説は事実で、日本の聖十字病院を窓口にアメリカで肝臓移植を受け、新たなシノギに手を染めていたのだ。
今回も黒田たちが捜査を始めると出るわ出るわ、臓器売買の舞台がフィリピンをはじめとする海外に広がっており、関係者も宗教団体や政治家、そしてあろうことか警察内部にまで広がっていることが判明する。しかも彼らが臓器売買に手を染めたきっかけが面白い。

その他、今回の見物。
  • 広域暴力団の組長をアメリカがタダで入国させるはずがなく、組長とアメリカ当局との間で繰り広げられる駆け引き。 

  • 体を壊してもタダでは起きない暴力団や政治家のしたたかさにもある意味で感心。

  • 海外を股にかける臓器売買を日本の法律で摘発することは難しく、どうやって強制捜査に持ち込むかも見物。

  • モデルは、重病説の組長はおそらく宅見勝、聖十字病院のモデルは聖路加病院だろう。

2025/05/21

小説イタリア・ルネサンス(塩野七生)

イタリア・ヴェネツィアの架空の外交官マルコ・ダンドロの目で語られる、ルネサンス期のイタリアとオスマン・トルコを主な舞台とする壮大な歴史小説。

世界史の出来事で言えば、1529年の第1次ウィーン包囲から1571年のレパントの海戦あたりになる。
人名で言えば、メディチ家、チェーザレ・ボルジア、マキアヴェッリ、ミケランジェロ、為政者で言えばスレイマン1世などで、これらの人物も登場する。

ヴェネツィアの貴族として生まれ、キャリアをスタートさせた若き日のマルコ。当時、イタリアという国はなく、ヴェネツィアが一つの共和国だった。
海運で隆盛を極めていたとは言え、ボリュームで大国スペインやオスマン・トルコにかなうはずもなく、大国の手のひらの上にある状態。
緻密なインテリジェンス活動に、国の命運を託さざるを得なかった。

まず、マルコは、密命を帯びてオスマン・トルコに派遣される。そこには、旧友アルヴィーゼが住んでいる。ヴェネツィアとオスマン・トルコの交易で財を成し、宮廷にも通じている、ヴェネツィアにとって貴重な存在。しかし、何を考えてるのかよくわからない不気味さをまとっている。
やがてアルヴィーゼは、世界史に残る大事件に没入する。裏切りとも言えるようなその行動に、マルコをはじめヴェネツィア人は困惑せずにはいられなかった。
マルコは同時に、ローマからヴェネツィアにやってきた遊女オリンピアといい仲になる。オリンピアは、マルコのキャリアとプライベートを、生涯にわたり時に激しく揺さぶる存在になっていく。

読みどころ。
  • フィクションの中に歴史上の人物が多数、血の通った人間として登場する。英雄も、強い姿だけではなく欲に溺れる姿も。

  • 小国が大国に翻弄され、その中でマルコは国だけではなく多くの人にも翻弄され、時に石につまずく。それでも悲観せず、謹慎生活もエンジョイしながらヴェネツィアに貢献して年齢を重ねていく、というマルコの姿を緩やかに楽しむ。

  • マルコの周辺の謎めいた人物たち。特にマルコの一生を左右するオリンピアとの恋愛の行方。
塩野七生は有名なので今更こんな解説はいらないかも知れないが、イタリアに移住し、古代ローマ以来の西洋・イスラム史を題材とした歴史小説を数多く出している人。
小説だけではなく、歴史解説(「ローマ人の物語」など)も有名。
で、「小説イタリア・ルネサンス」は、ロックダウンで家にこもる中、描いたそうだ。

文庫で4冊なのでそれなりのボリュームである。電子書籍なら(好みはあるかも知れないが)合本版がおすすめ。

2025/05/14

草枕(夏目漱石)

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
有名なこの一節で始まる夏目漱石の小説がこの「草枕」だ。

画家の主人公が、「非人情」をしに写生旅行に出かける。
そこで温泉宿で女主人と出会う、自然や芸術について思索する、出かけて地元の人と交流を深める。
それで流してしまえば「ふーん」で終わってしまうのだが…。

見どころはまず、主人公の行動や思索、そして女主人との対話として描かれる漱石の芸術論。 
日常を離れた「非人情」の中で、思索にふける。漢詩を吟じる。世界の美術や文学を語る。
それを大切にする在り様だろう。

「非人情」というのは、別に人倫にもとることをするという意味ではなく、人間がたくさんいる都市から離れて非日常的な世界に行く、さらに言えば少しだけ逃避する、程度の意味で捉えている。
突っ込み出したらいろいろな解釈ができるのだろうけど。

もう一つの見どころは、主人公と女主人の「恋愛譚」。
漱石は 東京帝大の教壇で'I love you.'を「月がきれいですね」と訳すよう指導したという。
そんな彼にとって、二人の語らいは恋愛を通り越してもはや官能的とすらいえるのではないかと思う。

2025/05/13

鳴かずのカッコウ(手島龍一)

公安調査庁が繰り広げる地味だが平和な社会を根底から支える国際諜報戦(まさに、「調査」!)を描いたインテリジェンス小説。

大学では漫研でひたすらペンでマンガを描き、安定した公務員を目指していた梶壮太。
なぜか公安調査庁に入庁し、神戸で外国の有害行為を追いかける部署に配属されてしまった。
あまりパッとせず、潜入調査をすれば公安にバレてつるし上げられる…、失敗続きで周りの誰もが次は左遷だと思われていたが、彼の上司は決して手放さなかった。

梶は地道に情報を集めて分析する能力に長け、北朝鮮のミサイル密輸を突き止める功績を挙げていた。また、カメラアイの持ち主であり、ジョギング中に日本の会社による有害行為の端緒をつかんでいた。なにより上司が買っていたのがその地味さだった。
KGB時代のプーチンがそうであったように、インテリジェンスの世界では、目立たないことは価値なのだ。

そして趣味のマンガもヒューミントに活かしながら、気がつけば神戸を舞台とする国際諜報戦の最前線に立っていた…。

公安調査庁は、あくまで調査レポートを書いて内閣に報告することが任務。尾行や、調査対象との接触や潜入はするが、決して力に訴えることはない。自ら摘発もしない。
だから、アクションの描写はほとんどない。
そんな公安調査庁の活動の描写にリアリティを感じる。
NHKの記者としてインテリジェンス・コミュニティに入った手嶋龍一の、長年の取材の成果が結実したのだろう。

また、手嶋龍一あるあるだが、舞台の一つにウクライナが選ばれている。
ウクライナという国が、いかに世界の謀略の要衝となっているか、現在の情勢を見るにつけ考えさせられる。

最後に、「鳴かずのカッコウ」とは何のことか?
梶が巻き込まれた諜報戦の調査レポートと彼のキャリアの行方は?
どんでん返しにも目が離せない。

2025/05/12

吾輩は猫である(夏目漱石)

旧制中学の英文教師(『リードル』という)苦沙弥先生。
西洋文明に染まりその伝道師になった、「知識人」という名の明治の上級国民の成れの果て、そんな表現もできるだろう。
苦沙弥先生の飼い猫の目を通し、その連中の生態を皮肉たっぷりに込めて面白おかしく描いている。
職業といい病歴といい、苦沙弥先生には漱石自身が投影されている。余裕派、高踏派の面目躍如といえよう。

しかし、当時の学生は本当に猫を鍋で煮て食っていたのだろうか?
漱石自身は食ったのだろうか?

2025/05/11

炎熱商人(深田祐介)

JALの社員から小説家に転じた深田祐介が亡くなってもう10年以上経った。
炎熱商人は彼が直木賞を受賞した出世作である。
約40年前にNHKでドラマ化され、ラストシーンがかすかに記憶に残っていた。

高度成長期の日本で木材需要が急増し、中堅商社がフィリピン、ルソン島のラワン材の新規取引に走る。
人格者の支店長、変わり者の次長、ぼんぼんの出向社員、イケメン現地社員、そして現地の人々が、心に残る戦争の傷、商習慣の違いに翻弄されながらも、徐々にフィリピン社会に根付いて商売を花開かせていく様子に感情移入してしまう。

イケメン現地社員は日比混血で占領下のマニラで日本人学校に通っていた設定。
随所に織り交ぜられる戦時中の回想、そしてなぜ彼が日本の商社で働く道を選んだのかも読ませるものがある。

しかし、世界経済の荒波には抗しきれず、現地の人々とトラブルが発生する。それがドラマで劇的に描かれたラストの伏線となる。

かつて、商社の採用面接で「炎熱商人を読んだことはあるか?」と聞かれたことがあるという。都市伝説かもしれない。
しかし、この小説を読めば都市伝説ではなく、本当にそんな質問があったのではないかと思わされてしまう。