2025/01/21

ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治)

著者は長年小児の発達障害外来や少年院の矯正医官を勤め、非行少年と接する機会が多かった。その経験から、非行少年の認知能力の実態や認知能力と再犯との関係の考察、そして非行少年の真の更生に向けた提言がなされている。

医師として非行少年と面接すると、彼らは普通の態度で接してくれるという。しかし、よくよく話を聞いたり検査すると、驚くべきことが明らかになる。

  • 「ケーキを1/3に分割してください」と指示してもうまく分割できない。
    カバーの絵は彼らの回答例である。

さらに衝撃的な事実が続く。

  • 漢字が読めない。文章を読んで意味を理解ができない。
    だから、矯正教育の一環として被害者の手記を読んでも理解できない。

  • 凶悪事件を起こした少年に自己イメージを聞くと「優しい」と答える。
    自分の状況を全く理解できていないのである。
    こうなると、反省以前になる。

その原因を深掘りすると、見る・聞く・想像するといった認知機能の弱さ、感情のコントロール力の弱さ、融通の利かなさ、対人スキルの弱さ、身体の極端な不器用さといった点で極端な特性を持っていることが多いという。著者は、それが学校や親から知的障害として認識されないまま、適切な保護や指導を受けなかった子どもが、犯罪を起こすことにに追いやられることを警告している。また、実際そう思われる事例を見てきている。

著者は、その他の調査データを踏まえ、認知機能を鍛えるトレーニングを開発し、医療少年院でも実践し、効果を上げてきたという。これを学校教育に取り入れ、困っている子どもの早期発見と支援につなげることを提言している。 

感想。
まず、非行少年の認知と認識、とりわけ自分は優しいという自己認識に衝撃を受けた。
認知機能の低さが非行につながる、認知機能を上げれば改善するという著者の主張については、学問的な裏付けはこれからという点は否めない。しかし、現場の先生がコグトレを取り入れる動きがあるようだ。今後その効果が検証・共有されるだろう。効果があるとわかれば、この方法で困っている子どもに支援が広がっていくことを願っている。

2025/01/15

栗山大膳(森鴎外)

江戸時代前期、福岡藩黒田家で起きたお家騒動(黒田騒動)の起こりと顛末を取り上げた短編小説。黒田騒動は江戸時代の三大お家騒動(あと2つは伊達騒動・加賀騒動)の一つ。

江戸時代には黒田騒動を扱った歌舞伎がいくつも作られたというが、現代では栗山大膳、何それ、おいしいの?という反応も無理からぬところと思われるので、騒動のさわりだけを記しておきたい。

黒田長政は関ヶ原の戦いにおける軍功から幕府より福岡五十万石の所領を与えられ、家来の栗山利安と強い信頼関係で結ばれていた。

しかし、長政の息子忠之は素行に難があった。贅沢を好み、お気に入りの小姓倉八十太夫を取り立て、やがて十太夫一派が藩内で悪しき権勢を振るい始める。栗山大膳(利安の息子)をはじめ忠臣たちが諫言すると忠之は彼らを遠ざける。ついに大膳が忠之への伺候を取りやめ、緊張が最高潮に達したとき、大膳が捨て身の行動に出て、ここに幕府が介入するお家騒動に発展する。ここまではよくありそうな話だが、経過と顛末は読んでみてのお楽しみ。

事実を簡潔に淡々と記す短編というスタイルに鴎外の風合いを感じる。福岡藩士が籠城を計画する場面では、藩士の配置を一人ずつ実名で記録するかのような箇所がある一方で(ここは唯一しつこさを感じた)、筋書きは何箇所か史実と異なるらしい。

こころ(夏目漱石)

高校の教科書にも載っている小説。教科書は後半の1/3に当たる「先生」の遺書が中心で、「先生」と「私」の出会いや「私」の家族の話は大半がカットされている。

大学在学中の「私」は、鎌倉のビーチでだいぶ年上の「先生」と出会う。先生というが無職であり、遺産があるせいかそれでも生活できている。学者肌のインテリ振りが「私」に尊敬の念をかき立てる一方、時折見せる厭世的でシニカルな言動や、親友の月命日にせっせと墓参りする行動が「私」の好奇心を刺激していた。

ちょうど「私」が大学を卒業する頃父親の持病が悪化し帰郷する。父親が衰弱しいよいよという頃、先生から自殺をほのめかす手紙を受け取り、「私」は東京行きの列車に飛び乗る。

今時、大学生と無職のインテリ中年が出会い、これほど親しくなるシチュエーションはなかなか考えにくい。何しろ、先生の手紙で親の死に目を放り出してまで帰京するのである(たとえそれが先生の自殺をほのめかす内容であったとしても)。この場面設定は、当時の大学生のインテリへのあこがれと両者の社会的な距離の近さという、世相の断面を表しているように思われる。

この後は先生の遺書の引用で終わる。同じ下宿に住む親友Kと下宿のお嬢さんをめぐって争い、抜け駆け的にお嬢さんと婚約した直後にKが自殺、良心の呵責や利己的な自身の有り様に苛まれるこころの告白。あらゆる物事を悪い方に受け止め、自分を責め続ける。それを家族に打ち明けることもできずにひたすら孤立の泥沼にはまってゆく((この傾向は「門」の宗助と御米にもある。神経衰弱の経験がある漱石が当時を参考に描写したように思える。「門」と「こころ」の違いは支え合いの有無か。))。

遺書は良心の呵責が自殺の理由であるように示唆しながらも、明治の精神に殉じるのだと明言する。「私」の父親も明治天皇崩御や乃木稀典の殉死の報に接して元気をなくすという伏線があるのだが、これは先生の本心なのか、それとも遺書においてなお事実関係は告白できてもこころのうちを告白できなかった先生の最期の強がりだったのか。

カズイスチカ(森鴎外)

casuisticaというのは、症例集とか、臨床報告という意味のようである。

主人公の花房が医学部を卒業する頃、開業していた父親の代診をしていた思い出を語る形で展開する。おおかた鴎外自身の駆け出しの思い出が背景にあるのだろう。

父親は最新の外国の医学書はあまり読まず(読む根気を失っている)、消毒の概念さえ理解していないのだが、患者の死期は正確に当てるなど花房に敵わないところがある。その中で花房は、父親はどんな患者であれ、目の前の患者を診ることに全精神を傾けている点が自分と違っているという気付きを得る。花房にしても父親にしても、それが許されるおおらかな時代だったんだなと。

その後、代診の頃の花房の症例集が3点。ネタバレは控えるが、顎が外れたが他所では治してくれないとか、息子が一枚板になったから往診してくれとか、他所で腹水がたまっている、ガンじゃないか、だから穿刺はできないと言われた患者が来たりとなかなかの活躍。

みちの記(森鴎外)

鴎外が明治23年8月、信越本線沿いに信州山田温泉に旅行したときの日記。

信越本線は一部できてはいたものの碓氷峠付近は馬車鉄道で峠越えに難儀したり、変な半可通の髭男に辟易したり、大雨で鉄道が壊れて帰りに苦労したり。

洋服を着ているとどこでも優遇されるという観察も。

古文体なので少し戸惑うかもしれないが、そんな当時の社会事情が垣間見えるところが面白い。

虞美人草(夏目漱石)

夏目漱石の文壇デビュー作。デビュー作で力が入っていたのかどうかは知らないが、まさに組んずほぐれつの濃厚なドロドロストーリー。

美貌を鼻にかける藤尾が、二人の男性を翻弄する立場を楽しんでいるうちに自ら陥穽に嵌まる。その中で多くの対立項的な「二人」の関係が交錯する。対立項から主体的に抜け出した者がドロドロに終止符を打つ。

  • 友人の甲野欽吾と宗近、欽吾は芸術家肌で神経衰弱で療養中。宗近は外交官試験浪人中で陽気な性格。

  • 欽吾と藤尾は異母兄妹。母(藤尾の実母にして欽吾の義母)は欽吾を廃嫡し、藤尾に婿を取らせて亡き夫の遺産を独占しようと企む。

  • 藤尾と宗近の妹糸子。容貌も性格も正反対。会話をすれば女同士のつばぜり合いに火花を散らす。(宗近と糸子も「陽」と「陰」といえようが、この二人の違いを決定的に際立たせているわけではないようだ。)

  • 宗近と大学博士課程在学中の小野は藤尾をめぐり三角関係にある。しかし二人とも藤尾にいいように翻弄されている。

  • 藤尾と小野の許嫁小夜子は小野をめぐり三角関係にある。小野は、博士号を取ったら小夜子と別れ、藤尾と結婚しようと画策する。

2025/01/05

ハゲタカ5 シンドローム(真山仁)

ゾンビ化した日本企業を買って買って買い散らかし、巨万の富を得たハゲタカが次に狙ったのは、電力界のリーディングカンパニーだった。

企業買収家の鷲津は、日本で原発の建設を担う企業の買収を画策。しかし首都電力の会長濱尾が妨害工作を始める。CIAまで使嗾して身辺を脅かす濱尾にさしものハゲタカも恐れをなして退散したのだった。

その後、買収の狙いを因縁の濱尾率いる首都電力に定めた鷲津。首都電力の株の買い占めを図る一方、本格的な買収工作に乗り出すために来日したのは、2011年3月11日だった。

超巨大地震に続いた未曾有の原発事故に揺れる政府と首都電力、その中で起きていた大組織の断絶と機能不全、隠蔽工作。もちろん首都電力の株価は暴落する。

その全てを買収に利用する鷲津は非情である(しかも鷲津は、ターンアラウンドマネージャーとして名を成し、震災発生時にはベトナムに原発をセールスしていた芝野も手のひらで転がそうとする)。
権力の維持を目論む濱尾は悪辣である。
賠償費用の負担回避ばかりか事故を奇貨として電力業界のコントロールを目論む官僚は狡猾である。

この三者の熾烈な綱引きの行方は最後の最後まで予断を許さない。

最後に笑い、泣くのは誰か?最後に救いはあるのか?

2025/01/03

ハゲタカ3 レッドゾーン(真山仁)

ハゲタカシリーズの第3弾。今回は、同族経営の自動車会社アカマ自動車を舞台に、日中のハゲタカが激突する。

今回は、サムライ・キャピタルを率いる鷲津が、買収を巡って争った訴訟に敗訴する場面から始まる。日本の言論をリードしてきた雑誌社で起きた親族間の路線対立。従姉妹に編集長を解任されたジャーナリスト堂本の依頼で、鷲津は雑誌社の買い戻しを画策する。しかし、その矢先に堂本が脳梗塞に倒れる。また、相手は記者会見でハゲタカに会社を奪われると訴え、同時に買収防衛策を発動。鷲津は防衛策の無効を訴えたが、敗訴。鷲津は、またも日本の見えざる壁にぶつかったのだった。

ちょうどその頃、山口県の名門アカマ自動車は「中国のホリエモン」こと賀一華から株式購入の通告を受け、揺れていた。社長の古屋は、政治工作と並行して鷲津をアドバイザーにして買収阻止を図る。そんな鷲津に謎の中国人がかつての部下アランの事故死の真相を知っている言って接近する。ここから、アカマの経営陣、中国共産党の要人、そして香港の大富豪が入り乱れての国際的な買収合戦が幕を開ける。

その頃芝野は、銀行員としてのスタートの頃に関わった大阪の中小企業マジテックに転職し、金策や後継問題に直面しながら、少しづつ再建を軌道に乗せていく。

前作に比べ、企業の内紛、買収への政治の関与、そして買収劇の結末のどれもが非常に(鷲津自身が辟易するほど)ドラマチックで、20年前に流行したジェットコースタードラマを思い出す。しかし、一中小企業の再生に汗を流す芝野や、中国の市井の人々の純朴さの描写が箸休めとなり、かつストーリーに現実味を与えていた。

物足りなかったとすれば、毎回、ハゲタカ代表の鷲津と日本の銀行マン代表の芝野の間に起こる対立、邂逅、そして協力が見せ場の一つなのだが、今回は鷲津の世界と芝野の世界がかけ離れ、それがほんの一瞬で終わってしまったことだろうか。

2025/01/02

警視庁情報官 ハニートラップ(濱嘉之)

警視庁情報室の公安マン黒木警視が活躍するシリーズ第2弾。

中国が仕掛けたハニートラップにまんまと嵌められて防衛機密を漏らしちゃったという最近ありがちな犯罪を警視庁情報室が暴く。

小説としてそれほど面白いストーリーではないが、普通の男が自覚なく嵌められてズブズブと溺れてゆく姿がリアル。それも、一人ではなく二人が。

今回も、世界を股にかける公安捜査の実態や、ハニートラップに嵌まった政治家の例が実在のモデルが明らかに分かるように描かれており、情報として非常に面白い。

ハゲタカ2(真山仁/原題 バイアウト)

「日本を買収する」と豪語する鷲津政彦が日本の巨大企業の買収合戦に挑むハゲタカシリーズの第2作。今回も、日本に実在した巨大企業のM&A案件がモチーフとなっている。

上巻では、経営不振に喘ぐ名門企業鈴紡の再建を巡り、ライバル企業の月華が化粧品事業の買収を目論む。鈴紡内部が分裂し、そこにメインバンクのUTB銀行や鷲津たちが背後に加わり買収合戦が始まる。

下巻では、不振の家電メーカー曙電気を巡り、「コピー屋」からのステータスアップをも目論んでアメリカの軍需産業と組み買収に動くシャインが、曙電気に転じ自主再建を果たそうとする芝野と激突する。そこで鷲津がどう動くか、そしてその根底にある思いを見ておきたい。一方で、物語が投資銀行の範疇を超えて広がり、ウソっぽさが出てきてしまうのだが。

社名から、どの企業をモデルにしたか、だいたい分かる。

本作の縦糸は巨大M&Aビジネスの熾烈な現場と鷲津や芝野たちの勝負だが、以下の数々の横糸が過度に複雑にならない程度に絡まり、物語の面白さを深めている。横糸は次作への伏線でもあり、本作も第1作と同様、To be continuedで終わる。

  • 日光の名門ミカドホテルの再建と若き女性社長貴子の成長
  • 金と少数精鋭の仲間で仕事するやり方から、政府・マスコミを掌で動かすことを覚える鷲津のスタイルの変化。
  • かつての部下アランの横死を巡り鷲津が受けた衝撃と再生、そして謎
  • 芝野の家庭崩壊の危機と再生  等

警視庁情報官 トリックスター(濱嘉之)

詐欺集団に「黒ちゃん」こと黒木警視以下警視庁総務部情報室が挑むシリーズ第3弾。

今回も、公安マンたちの地道な情報収集と分析によって膨大な情報が見事につながり、政治家あり、宗教団体あり、暴力団あり、新興企業ありの、日本社会の暗部が絡まり合って甘い汁を吸う構図が浮かび上がってくる。

しかし、詐欺集団を追っているうちに、先鋭的な宗教団体のとんでもない計画が明らかに。そこで黒ちゃんが謀る一網打尽の検挙計画が笑える。「事件が起きた時点で敗北」の公安らしからぬ手法であり、現実には警察トップが許すとは思えないが。

宗教団体の内部事情、団体間の対立関係と暴力団の関係など、情報は今回も超一級の面白さである。

なお、このシリーズに出てくる人物や団体のほとんどに現実のモデルがあるのだが(今回は森喜朗・田母神俊雄・もはやレギュラーの統一教会と創価学会・アパホテルあたりか)、「研鑽教会」だけはモデルがわからない。知っている人がいたらコメントで教えてください。

2025/01/01

薤露行(夏目漱石)

 「かいろこう」と読む。

薤とはらっきょうのことで、薤の葉の上に置いた露は消えやすいところから、人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙を薤露という。転じて、葬送のときに歌う挽歌の意味もあるという。

そこで薤露行だが、アーサー王物語の一部をなす、騎士ランスロットをめぐる女達の恋を漱石流に小説化したものである。

【以下、ネタバレ注意】

アーサー王配下の騎士ランスロットは、王妃ギニヴィアと不倫関係にあった。
ある日、アーサー王国の騎士たちの試合で、王と騎士たちが宮殿を空にする間にランスロットは宮殿を訪ねる。ランスロットは仮病で試合を欠席し、この機会に密会しようとしたのだった。しかし、関係が噂になり始めたことを気にするギニヴィアに説得され、遅ればせながら試合のある北方へと向かう。

北方に向かう途中ランスロットは一泊する。宿屋の娘エレーンはランスロットに恋をする。エレーンは深夜ランスロットの寝室を訪ね、愛の印として自らの赤い服の袖を渡し身に付けるよう頼む。変装して身分を隠して試合に出ようとしてたランスロットはその思惑を含みながら承知する。

ランスロットは試合で負傷し、ギニヴィアはアーサー王から、エレーンは同じく試合に出ていた兄からその様子を聞かされる。同時に、ランスロットが他の女に心惹かれていたことを示唆する出来事も。未だ戻らぬランスロットを案じつつ、二人の女は対照的な反応を示す。ギニヴィアは夫の前であるにもかかわらず嫉妬を抑えられない。一方で、エレーンは絶望して食を断ち自死する。

エレーンの亡骸は、本人の生前の希望で多数の花、そしてランスロットへの手紙とともに舟に乗せられて川を下る。舟が宮殿に着き、宮殿は騒ぎになる。そしてギニヴィアがエレーンの手から手紙を取って読む。ギニヴィアはランスロットが試合で身につけていた赤い袖の持ち主がエレーンであることを知り、涙するのだった。

【ネタバレ注意ここまで】

原作ではランスロットは多くの女性と関わりができるのだが、この小説ではエレーンの悲恋の物語にスポットが当たり、ギニヴィアはエレーンとの好対照をなす引き立て役の感が強い。それは、薤露行(はかなさ・死を悼む涙)というタイトルに、そしてランスロットの負傷や騎士たちに不倫を告発されたギニヴィアの顛末に触れられていないところに現れている。

原作ではランスロットやギニヴィアのその後も描かれており、むしろギニヴィアの不倫が物語を動かしてゆく。漱石は、独自の世界観によって薤露行を書いたのだ。

暗闇商人(深田祐介)

ロンドンの語学学校を舞台に起きた北朝鮮による日本人拉致をモチーフに、水面下に広がるテロ組織のネットワークとその犯罪を赤裸々に描く。

夫の早逝によりシングルマザーとなった佐久間浩美は、夫の伯父佐久間健一の計らいで息子を連れてロンドンに語学留学する。同じ学校に日本の商社から派遣された安原と恋仲になるが、そこには日本赤衛軍のメンバー水田も身分を隠して潜入していた。水田は、日頃から接点のある北朝鮮工作員から浩美の北朝鮮への拉致に協力するよう指示される。
浩美は罠に嵌められてピョンヤン行きの飛行機に乗せられ、北朝鮮に拉致されてしまう。
ここから、浩美、安原、そして賢一たちの、奪還に向けた戦いが始まる。

奪還劇の紆余曲折、浩美と安原の恋の行方、次第に明らかになる浩美が拉致された本当の理由(これが呆れるほど理不尽な理由である)…、時間があったら一気に読んでしまう。読みかけにすると気になる。また、拉致や身代金誘拐に巻き込まれる危険が案外身近にあることに気づかされ、背筋が寒くなる。
もう一つ特徴的なのは、北朝鮮工作員が話す日本語のなまりが忠実に再現されていることである。濁音が半濁音や清音になる、「し」が「ち」になる等。従って「ビジネス」は「ピチネス」になる。一見ユーモラスなようでいて、実は著者のメッセージかもしれない。

本作では、北朝鮮・日本赤軍・フィリピンのゲリラ勢力などが水面下で連携し、拉致・武器売買・身代金誘拐・航空機爆破…と、数々のテロ行為を働く構図が示されている。

日本赤衛軍とそのメンバーのモデルは日本赤軍であろう。ロンドンを舞台に北朝鮮が日本人を拉致した事案も実在する。フィリピンで商社の支店長がゲリラに誘拐されたことも実話である。一方で、北朝鮮による拉致で発生直後に奪還に成功した事例も、拉致被害者がはるばるフィリピンで日本人誘拐に加担させられたという話もない(公にされていないだけかもしれないが)。取材事実とフィクションが巧みに織り交ぜられており、その境界の判断が難しい。

今では、北朝鮮とイランの間でのミサイル取引も明らかになり、北朝鮮がテロ組織のハブとなっていることは誰でも知っている。しかし、本作が最初に出たのは1990年代前半である。大韓航空機爆破事件の直後だが、北朝鮮・朝鮮総連・極左勢力の日本社会への隠然たる影響力は現在より強く、当時「暗闇」の圧力があったとしても不思議ではない。よく出版できたものだと思う。

大地の子(山崎豊子)

終戦時に中国に取り残された孤児と日本に帰還した父親の数奇な運命を、壮大なスケールで描いた感動作。

ソ連と満州国国境に近い日本人開拓村にいた松本勝男は、1945年8月9日のソ連侵攻で両親と生き別れ、一緒に逃げた妹あつ子ともやがて引き離されてしまう。

実直な養父母に引き取られた勝男は中国人陸一心として育てられ、大学を出て北京鋼鉄公司の技術者として働き出す。しかし、学校では小日本鬼子といじめられ、文化大革命勃発後は日本人であることを理由に職場でも理不尽な弾圧を受け、挙句の果てに収容所に送られる。

実父耕次は引揚後東洋製鉄に勤め、仕事のかたわら生き別れとなった子供の消息を尋ねていた。昭和50年代になって上海の巨大製鉄所建設プロジェクトが始まり、耕次も東洋製鉄から派遣される。

この後の耕次・勝男(一心)・あつ子の運命は読んでのお楽しみ(だが、見当はつくだろう)。

山崎豊子の日中両国の取材の成果が凝縮されている。

昭和恐慌に端を発する事実上の棄民政策がもたらした悲劇の実相は胸に迫るものがある。また、中国に取り残された孤児の運命の多様さも教えられる。テレビで見る中国残留日本人孤児で訪日する人ばかりではない。養父母に虐待されそのまま亡くなった人、自分が日本人であることを知らない人、自ら中国人として生きる道を選んだ人もいる。帰還できたことが幸福とは限らず、2世・3世が怒羅権を結成し、日本が中国国内のマフィアの代理戦争の舞台と化していることは、本作では述べられていないものの周知の事実(マフィア化については警視庁公安部青山望 報復連鎖に詳しい)。

また、上海製鉄所建設を巡る中国の苛烈な政争と腐敗、文化大革命で散々行われた吊るし上げ、収容所の実態など、中国現代史の闇も興味深い。

天地明察(冲方丁)

江戸時代初頭に貞享暦への改暦を実現し、江戸幕府の初代天文方になった渋川春海の活躍を描く。
日本の暦は862年に唐から伝来した宣明暦に依ってきたが、江戸時代になると誤差が積み上がり、現実の太陽の運行(春分など)と2日の差が出ていた。これを精密な天文観測と算術を駆使して貞享暦に改暦したのである。

本因坊家と並び、将軍の御前で囲碁を見せる囲碁方安井家に生まれた二代目安井算哲。囲碁方といってもあらかじめ打ち合わせた棋譜の通りに打ち、将軍に解説をつけて見せるというヤラセであり、算哲は将来に閉塞感を抱いていた。むしろ趣味の天文観測や算術に熱心で、どんな難問も一瞬で解く算術の大家関孝和に憧れとコンプレックスを抱く。どこか抜けたところがあるが素直で優しい奴。天文や算術の世界ではあえて渋川春海という別名を名乗っていた。

ある日、囲碁方ながら帯刀を許され(本人にとっては強要され)、大老酒井忠清の囲碁の相手を務めさせられることに戸惑いを覚える。しかもそれを「囲碁侍」とからかわれ、踏んだり蹴ったりであった。

その後、算術での挫折体験、北極星の高度で各地の緯度を測量するプロジェクトでの成功体験を経て精神的に成長した春海は、会津藩主保科正行から改暦のリーダーとなることを命じられる。現代に喩えればはやぶさを飛ばすプロジェクトリーダーのようなものである。帯刀はこの伏線であり、大老をはじめ春海と出会った数々の人物が一致して春海をリーダーに推していた。それは春海の人物と実績が認められた証だったが、長い苦闘の始まりでもあった。

囲碁の世界では悶々とする春海だが、測量や改暦では持ち前の素直さから使命感を抱きつつひたむきに打ち込む姿は爽快である。また、春海自身は天文や算術のバックグラウンドを持つ技術者だが、リーダーとして技術に偏らず、改暦が社会・経済・政治にもたらす影響をしっかり見定め、広い視野に立って改暦を進める。関孝和との邂逅の場面で春海に湧き上がる怒りは、まさにリーダーの思いである。そのようなリーダーとしての春海のあり方にも共感を覚えた。

Amazonでは下巻の評価が低めだが、下巻のハイライトにはリーダーとしての春海のあり方と、和算を極め後世に学者として足跡を残した関孝和vs技術を結集し現在の社会を変えた渋川春海の対比、協力を推したい(上巻に比べると地味だが)。

流星ワゴン(重松清)

今回はドラマでやっている小説を読んだ。ミーハーなもので。

妻の浮気(というよりセックス依存症)と離婚問題、息子の不登校と家庭内暴力、自分はリストラ、金を持ってる父親とは不和と、日本家庭の不幸を一人で背負い込んだような男が、ある晩死を意識する。その瞬間、事故死した親子の霊が運転するワゴンに誘われ、「一番大切な場所」と称して1年前にタイムトラベルするところから物語が始まる。

タイムトラベルしたからといって簡単に未来を変えられるわけではないが、心が離れた(と勝手に思っていた)家族の本当の気持ちを次第に理解し、生きる力を取り戻してゆく。

そして、霊の親子も好き好んで成仏もせずにワゴンを運転しているわけではなく、霊なりの事情があった。この辺は完全に「あなたの知らない世界」である。

少し閉口したのは、夫婦生活の描写がやたらねちっこいこと。テレクラ狂いを知りながら妻を抱く夫の、嫉妬と屈折が入り混じった半ば倒錯的な欲情がよく表現されていると思う。が、通勤電車では読まないほうがいい。

原作とドラマの違い探しも楽しみ(夫婦生活のシーンも含め、笑。日曜9時ではオールカットを余儀なくされるかもしれないが)。

カシオペアの丘で(重松清)

親子3人で平凡な暮らしをしていたサラリーマンが突然末期がんを宣告されたことをきっかけに、疎遠になっていた故郷、幼なじみのもとに戻り、かつて反発した祖父と対峙しながら人生の最後の日々を送る様を描く。 

 父と子の相克や、疎遠になった故郷や級友との向き合いは、この作者が繰り返し取り上げるテーマ。今回も、過去のもつれた糸がほどけたりそのまますれ違ったり。しかし、主人公なりに死への準備として心の中で決着をつけてゆく。

視点が変わるが、最初自覚症状のない末期がん患者がある日急変し、以後坂道を転げ落ちるように衰弱する描写が残酷なほど鮮明である。そして、死の床にあってもなお性欲は残るものの、力なく乳房に触れることしかできない姿に哀しさを誘われる。

しぶちん(山崎豊子)

山崎豊子初期の中・短編集。

  • 船場狂い
    大阪の商業の中心地だった船場への憧れが高じ、船場に異常に執着するようになった商家の変わったおばさんのお話。執着が高じて船場の老舗を盛り立てていく…。

  • 死亡記事
    新聞社に入社した女記者が人事部長に連れられて社長に挨拶した。ここまでならよくある光景だが、社長は片脚を失っていた…。それをきっかけに社長の来歴を「取材」するうちに、その厳しい人柄に関心を寄せて行く。「ムッシュ・クラタ」に続く「毎朝新聞」人物伝(女記者とは山崎豊子自身であり、毎朝新聞は毎日新聞であろう)。

  • 持参金
    船場の大店から、妙に条件の良い見合い話が持ち込まれた小間物屋の四男。ウマい話に不審を感じ、娘の事情を探った結果最後にたどり着いた真実とは?

  • しぶちん
    どケチで身代を築いた材木商の、度肝を抜くどケチぶりの数々。こうなると、金と貯める行為そのものが人生の目的になっており、なんともいじましい。

  • 遺留品
    謹厳実直な愛妻家の大手企業の社長が航空機事故で死んだ。その遺留品に不似合いなドライミルクの缶が。社内が上から下まで想像をたくましくする中、社長を尊敬してきた秘書がドライミルクの謎に挑むが…。ミステリータッチの企業小説とでも言おうか。
    余談だか、この小説に、あの白い巨塔でおなじみの浪速大学が出てくる。里見助教授ではベッドが取れなかったので、鵜飼派の葉山教授がちょっと助けたのだろうw

ハゲタカ(真山仁)

ハゲタカ→ハゲタカ2→レッドゾーン→グリード… と続くハゲタカシリーズの第一幕。 
NHKでドラマ化もされている。

2000年頃の平成不況にあえいでいた日本で、不良債権や経営が傾いた会社を安く買って短期間でボロ儲けする外資系投資銀行は、死肉をむさぼるハゲタカと言われていた。
そのハゲタカファンドの一つを率いる日本人を軸に据え、さまざまな企業の再生に携わる人々を描いている。

世論誘導のためマスコミへのリーク合戦も辞さない企業買収ビジネスの熾烈な舞台裏が語られつつも、決して感情的なハゲタカ悪玉論には与していない(金の亡者みたいな投資銀行の人物も出てくるが)。
主人公のビジネスの場における冷徹さと個人としての心の揺れ動きや、それぞれの立場で企業再生に精魂を傾ける人々、そして彼らによって企業が苦境に立ち至った真の原因が白日の下にさらされる様子が面白い。

出てくる企業の名前や設定から、実在のモデルがあるように思われる(三葉銀行→三和銀行など)。

ラストがTo be continued で終わるのが不気味であり、続編を求めたくなった。

文鳥(夏目漱石)

漱石が 鈴木三重吉にそそのかされて文鳥を飼った一部始終を描いた短編。

最初はせっせと世話をしながら忙しい執筆活動の癒やしにするのだが、だんだん世話に飽きるというお決まりのパターンを、明治の文豪が赤裸々に語る。そして、文鳥の姿の描写がとても細やかで感心する。

やっぱり、動物は他人にそそのかされて飼うのではなくて、自分の意志で最後まで責任を持つ覚悟を持って飼い始めないといけませんな。

重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ(大栗博司)

第一線の物理学者が、今日の物理学の最重要テーマ『重力』について、最先端の話題を巧みな比喩を織り交ぜながらわかりやすくかつ正確に解説してくれる。

重力の研究はニュートンがリンゴを見て重力のアイディアをひらめき、惑星の公転運動を説明してみせたことに始まるが、アインシュタインの相対性理論によって重力の本質が解き明かされ、ブラックホールの存在が予言されることが語られる。さらに、量子力学の不思議な世界の数々が語られる。ここまでが準備。

後半では、素粒子を点ではなく振動する弦や膜だととらえる超弦理論と、ホーキングに端を発する現代のブラックホールの研究が融合し、重力ホログラフィー原理が語られる。

全体に、正確、丁寧、わかりやすい説明が貫かれ、17世紀のニュートンから21世紀のホーキングに至るの物理学の発展が良く分かる。また、物理学史の偉人の線画が随所にあり、これが微妙に面白い。

暖簾(山崎豊子)

明治・大正・昭和と親子二代にわたって受け継がれる大阪、船場商人の魂の物語。
店の軒先に掲げる暖簾が、家業の象徴、また魂を次代に引き継ぐDNAとして親子の精神的な支柱となり、家業を導いてゆく。

明治29年に、先代が淡路島からほとんど身一つで船場に上り、同郷の昆布屋の主人に拾われるところから物語が始まる。

持ち前の勤勉さと節約で、兄弟子を追い越し異例の速さで番頭に昇進し、ついに本家からの暖簾分けを果たし、浪花屋を開店する。
その後現地での仕入・加工工場設立に他店に先駆けて取り組み、関東大震災や室戸台風の打撃も乗り越えるが、太平洋戦争の空襲で遂に焼失の憂き目に遭う。
大学を出て修業を始めるも、初めは頼りなかった二代目は、復員後に昆布の仕入・加工・販売のすべてを学び取る。そして父の死を乗り越え、戦後の経済復興の波を的確にとらえて復興を果たしてゆく。
その過程で見た目やしゃべり方までが先代そっくりになっていく。 

物語は神武景気の頃で終わるのだが、その後の高度成長・オイルショック・バブル経済・平成不況・少子高齢化と変容する社会の中で浪花屋も翻弄されたであろうし、21世紀を迎えられたかどうか。先細りや廃業したかもしれない。そんなその後の物語に想像がめぐる。

スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考(ジョン=ベリー)

哲学者でスタンフォード大学教授 の著者が、自らの「先延ばし癖」を分析・考察し、先延ばし癖の効用や付き合い方をゆるく説く。「自己啓発」のタグをつけたが著者の経験に基づくエッセイに近く、1~2時間でさらっと読める。

まず、先延ばしといっても何もせずに怠けているわけではなく、自分に合った優先順位で物事を片付けているんだからいいじゃないか、オレだってそうだけど世間では働き者って言われてるぜと説く。実はこの第1章は2011年のイグ・ノーベル文学賞を受賞している。

ただし、先延ばしを賞賛しているわけではなく、先延ばしを防ぐ著者なりの方法論をゆるく披露している。完璧主義によって仕事に着手できない事態を防ぐ方法、大きな仕事を細かく分解してToDoリストに載せ、少しずつ消し込みながら達成感を味わう方法、音楽の力を借りてテンションを上げる方法など。いかにも『効率的な仕事術』の類の本にありそうだが、こういう方法が役に立つときは確かにある。

その後、先延ばし癖のメリットに触れており、思い当たる読者にとっては若干の癒しになるだろう。

著者は哲学者だけあって、所々で披露される先延ばしに対する考察は鋭く、頷かされるものがある。例えば、先延ばしの原因は完璧主義、それも依頼を完璧にこなす自分の姿を妄想することだという。現実は妄想のように簡単に完璧を期すことはできないから、そこで妄想が挫折して先延ばしが始まるという。また、先延ばし屋には落ち込みやすい性格に悩む人が多く、先延ばしと落ち込みは互いに助長しあうという。
このような考察に触れ、先延ばし屋とうつ病になりやすい性格の類似に気づかされた。

そういえば、「クリティカルチェーン」でも先延ばし癖を取り上げており、先延ばし癖を「学生症候群」と呼び管理者の目線で解消方法を論じていたように思う。本書は自分目線で先延ばし癖とつきあう方法を説いており、アプローチは違うというより正反対だが。

女系家族(山崎豊子)

本文

代々女系(長女が婿を取って家督を継ぐ)で続いてきた大阪船場の老舗問屋の相続のゴタゴタを、コミカルなタッチで描く。これまで何度もドラマ化されている。

山崎豊子は、初期の大阪船場の商人モノと後期の社会問題や社会現象を題材にしたドロドロ劇が多いのだが、これは両者をミックスしたような作品。

船場の問屋矢島屋の主が病気で早世した。臨終直前に遺言書を番頭に手渡し、人払いまでしてこっそり愛人を呼んで最後の言伝をする。

妻はすでに亡く、実子は娘が三人。出戻りの長女・婿を取って矢島屋を継いでいる次女・まだ学生でのんびりした三女が莫大な遺産の相続者となる。この家系は、代々惣領娘が婿を取って続いてきた女系家族、主ももちろん婿養子で生前肩身の狭い思いをしていた。

葬儀後の親族会議で番頭が遺言書を読み上げ、そのわずかな曖昧さと、初めて明かされる愛人の存在により争続の幕が上がる。

争続は親族内にとどまらず、娘たちに取り入っておこぼれにあずかろうとする者、長年横領を働き遺産からも分捕りを企てる番頭、主の忘れ形見の出産に必死な愛人が入り乱れて壮絶な駆け引きが繰り広げられ、ようやく着地が見えたと思ったら、大どんでん返しで争続の幕が下りる。

争続劇には、人間関係の描写だけではなく、遺言・相続・不動産鑑定の実務がしっかり織り込まれており感心する。

また、毎回不規則発言で紛糾する親族会議に懲り、娘三人の個別撃破でシャンシャン親族会議を狙う作戦に切り替える番頭の姿が、大企業のサラリーマンにも似てどこかユーモラスな哀愁を誘う。

物語は昭和34年の設定で、船場にもビルが増え、ビルの谷間に残された商家という描写がされている。相続後まもなく高度成長が始まり、娘たちや愛人も時代の流れに翻弄されたことだろう。彼女たちも今頃は80代、そろそろ人生を終えるころである。高度成長から平成不況に至る日本の中で、最後に笑ったのは誰か、「その後」の物語に想像を逞しくしてしまう。

あそび(森鴎外)

官吏と作家の二足のわらじを履く木村の一日を描いた小品。…と言うとそれまでだが、二足のわらじを含め木村の設定の多くが鴎外自身に重なることから、官吏として、作家として、自身の仕事の様子や心持をこの作品で仄めかしたように思われる((もちろん、書いてあることすべてが事実ではあるまい。そうだとすれば、同僚の悪口を小説にして発表したことになってしまう。))。それがタイトルである「あそび」の由来。遊び感覚が他人にはあからさまでよく非難されるというのはご愛嬌か。いかにも、日々の暮らしにあくせくすることのなかった高踏派らしい。

また、鴎外の文学に対する批評への反撃や弁明を試みており、興味深さと微笑ましさを感じる。

警視庁情報官 シークレット・オフィサー(濱嘉之)

警視庁の超優秀なノンキャリアの公安マンを主人公に据えた、公安モノの警察小説シリーズの第一弾。

原発利権とそれに群がる政治家・宗教団体などの暗躍、それに対峙する公安警察の活躍が描かれている。秀逸なのは、原発に反対する地主を暴力団を使って追い出すシーン。証拠を残さないために暴力団が選んだアナログな手段に微笑。シノギも楽ではない。 また、公安の基本「転び公妨」による被疑者逮捕のシーンもリアルである。

濱嘉之の経歴を見ると、警視庁の公安マンとして活躍したことが伺える。その頃の実体験や見聞を投影させているのだろう。登場する団体や人物には大抵実在のモデルがある(さすがに、警視庁総務部に情報室という秘匿セクションを作った設定はフィクションだと思うが…)。

公安というと左翼を監視するイメージが強いが、現実はそれだけではない。日頃から社会に多くの協力者を作りつつ、一旦背後関係が複雑な事件の端緒をつかめば、協力者を使って陰に陽に捜査を指揮し、政官財、宗教、反社にかかわらず犯罪者を一網打尽にすることが本来のミッションであることがわかる。

それだけに登場人物・団体、背後関係の説明に多くの紙数が割かれ、ラストでももやもやが残りカタルシスがあまり得られない。利権が絡む事件の場合、多くの端緒情報のうち立件され、報道されるものは一部に過ぎないだろうから、これは捜査の現実を表しているのかもしれない。また、膨大な情報には次作以降の伏線も含まれている。

この巻は、シリーズの導入編として、公安警察を知る資料として、そして実在のモデルを想像しながら読むのが面白いだろう。