ひっそりと暮らすおしどり夫婦の宗助と御米に持ち上がる、古傷を抉るような波風を描く。宗助に対するそこはかとない皮肉が漂っている。
登場人物の名前も設定も似て非なるものだが、「それから」の続編かとつい意識させられる。
あらすじ
おしどり夫婦の宗助と御米
宗助と御米夫婦は崖の下に建つ小さな借家でひっそりと暮らす。夫婦仲はとてもよいのだが、過去の事件がもとで、親戚付き合いも疎遠がちだった。子宝にも恵まれない。
そんな中、大学生の弟の小六が伯母からの学費の援助を打ち切られ、宗助が引き取ることになるが、学費までは宗助の給料では工面できず、小六は休学する。そのうち小六は飲酒を覚えて生活が荒み始める。御米も体調が勝れない。そんな中、宗助は父の遺産の屏風が縁で大家の坂井と仲良くなる。
夫婦の過去~なぜ「それから」の続編と言われるか
前半では、過去の事件が明かされないまま、宗助と御米の生活が淡々と描写される。しかし中盤でそれが明かされる。宗助は大学に在学中、親友の安井と交際していた御米を略奪し、実家から義絶され、大学も退学していたのだった。設定は同一ではないが、「それから」の続編といわれるのはこのためである。
逃げる宗助のヘタレぶり
そして、何の因果か坂井から、坂井の弟と安井がモンゴルにおり、今度家に来るから紹介したいと持ちかけられる。宗助はとても安井に顔を合わせる勇気はなく、10日間禅寺に籠って雲隠れを決め込み、(ついでに?)救いか悟りか、何物かを求めようとする。
10日間籠ったくらいで何も得られたとは感じられなかったが、安井と顔を合わせずには済んだ。そのころには小六は坂井の書生として住み込み、宗助から学費を出す段取りがつき復学する。こうして嵐は一段落するが、宗助の気持ちがすっきり晴れたわけではなかった。
それは次の一節に表れている。
御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。
感想
宗助と御米は、過去が負い目となり、悪いできごとを過去と結び付けて考えたり、将来に不安を覚えながらひっそりと暮らし続けてきた。
それでも二人は淡々と、仲睦まじく暮らしてきた。
しかし、宗助は迫りくる安井の影に腰を抜かし、御米を家に残して寺に逃げてしまうというヘタレを演じてしまった。
安井と顔を合わせる気まずさを御米一人に押し付けたわけで、エゴの上塗りとなってしまった。
 宗助が救いを求めて叩いた禅寺の「門」。それは現実の苦悩からの解放を与えなかったという厳しい現実が、冷徹に描かれている。
宗助と対象的な御米
一方御米は文句を言わず、体調が優れない中でも家計をやりくりし、荒れる小六を支え、そして夫の突然の「出家」さえも淡々と受け入れた。
結末には、今までのひっそりと仲睦まじい暮らしはこれからも表面的には変わらない。しかし、それぞれの心持ちには差ができてしまった。そんな風景が表れている。
こんな人にオススメ
- 夏目漱石の『それから』を読み、その後の代助と三千代が気になる
直接の続編ではないので、あくまで一つのサイドストーリーとして - 派手な事件よりも、人間の内面をじっくり描く物語が好き
 - 「人生に明確な答えはない」と感じている
 
なお、爽快感や感動を求められる小説ではない…。
 
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