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森鴎外

明治23年の旅紀行 森鴎外『みちの記』|信州山田温泉へ、信越本線で鉄道と馬車が交差

森鴎外

鴎外が明治23年8月、信越本線で信州山田温泉に旅行したときの日記。

あらすじ

明治23年8月、鴎外は上野から高崎線・信越本線に乗り、山田温泉に7日間滞在した。

全線開業前の信越本線の様子

現在のように快適な新幹線ですぐに行ける場所ではなく、汽車や鉄道馬車、人力車、果ては牛の背中に乗り、道中1泊を必要とする長い旅路。
しかも滞在中に大雨が降ったため、帰路は一部の区間で徒歩を強いられている。

そんな中でも、「蘆葦人長の中に立てり」(草ボーボー)と評された軽井沢駅や、底が見える清流に昼顔が咲き誇り、トンボが飛び回る信濃川と、沿線は豊かな自然に恵まれていた。

鴎外が惚れ込んだ山田温泉

鴎外は、山田にたどり着いて1泊し、気に入ったので7泊してしまう。

魚は自分で調達しないと食べられないと言うので、行商人からいわなを買ったり、泊まった藤井屋の主人と地域の川や火葬場を見学したり、時には日がな一日川辺で岩に座って手紙を読んだりと、山田での日々をエンジョイする。

7泊すれば宿の客とも交流が生まれ、話題の事件の裏話を聞いたり、ことさらにドヤってマウントを取りたがる半可通の男に呆れたりする場面も。

そして、滝巡りをしようとしたところで新聞を眼にすると、水害が起きていたことを知り、ふと我に返って東京に帰ることに決める。

感想

旅行記を通して明治社会事情や人々の意識が克明に記され、日本社会の状況に触れられる。一読の価値は大きい。

当時信越本線は全線開業前。碓氷峠越えの馬車鉄道の様子や、大雨で鉄道が不通になると歩いて迂回したという逸話は興味深い。
3年後、信越本線はスイッチバックで碓氷超えを果たしている。北陸新幹線開業後、この区間は廃止された。

また、半可通の男を「物学びし猿はかくこそありけめ」と斬り捨て、洋服さえ着ていれば過剰に優遇されると人々の意識をシビアに観察する。

鴎外ならではの社会を鋭く切り裂く評論が炸裂している。

こんな人にオススメ

  • 明治文学や森鴎外のファン
  • 鉄道の歴史やに興味がある鉄道ファン
  • 紀行文や旅エッセイを通じて社会の変化を感じてみたい
この記事を書いた人
Windcastor

小説・ビジネス書・エッセイなど幅広く読む読書ブロガー。
「本の扉を開く」では、話題の新刊や名著を中心に、読後に残る気づきや感想をわかりやすくまとめています。
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