親の海外勤務により高校の課程を独学。そして現役の東京大学教授を務める著者が培ってきた「独学のススメ」を一挙公開。
あらすじ
著者は、親の海外勤務の関係で、現地の日本人学校にも通えず、高校までの勉強の一部を独学で習得したそうだ。その後、おそらく大検をとり、大学の通信制で学び、やがて経済学者になったそうである。若い頃から、独学のノウハウを作り上げてきた、日本では珍しい経験をもっていると言える。
独学の「ノウハウ」と書いたが、決して独学の促成栽培ができると言うのではない。
自分で考えて自分で学ぶ姿勢をもち、自分のタイプや構成に応じて、自分のペースで学ぶという、「自分」起点で、急がず、主体的に、着実に学ぶためのマインドと方法論といえる。
むしろ最初は、「とりあえずやってみる」「目標は3割達成できればよし」「わかりにくい本は捨てて別の本に移れ」という、いい加減のススメ。独学者にとって勇気づけられるだろう。
その中で、ぼんやりとでも自分は何を目指しているのか、自分にとって相性のよい説明は何か、どんな本が自分に合うか、自分の理解の仕方やスピードは?と己を知り、独学に活かしていくことが説かれる。
最後に強調されているのが、「熟成」の重要性だ。
本を読むときは、疑いながら、むしろ著者と喧嘩しながら読む。知識の類例を探して普遍化してみる。応用する。最後にアウトプット(論文でも、Webでも)を試みる…。
読み進めるうちに、「いい加減のススメ」から「主体的な学び」への高みへといざなわれていく。
感想
勉強に対する無駄な自縄自縛と過剰な作業を廃する、そして自分で考え、考えを深める体験と、本当に意味があるアウトプットを出すことを重視した方法論だと思う。
そして、勉強法の本でありながら、平易な語り口で著者の経験も交えながら進み、わかりやすい。
それもそのはず。この本では、わかりやすい文章を書けることが、自分の理解のバロメーターだと言っているくらいだ。
さて、ここでは、この本が薦める「著者と喧嘩しながら読め」に従い、2つ「喧嘩」してみる。
我が「著者との喧嘩」
「ノートはいらない」一辺倒でよいか?
著者は、ノートは作る必要がないという。ノートを作る作業に気を取られるあまり、理解するという本質的な作業がおろそかになりがちだからという。この点、おおむね賛成で、我が意を得たりという思いだった。
では、どこで喧嘩するのか?
自分自身、資格試験の勉強でノートを作り、それが有効だった経験を持っている。
テキストで要点や大事な理屈を、自分なりに理解してA5のルーズリーフに書き出し、朝晩の通勤電車で毎日最初から最後まで読むのである。これは効果があり、試験にどんどん合格していった。
「毎日通勤電車で読み、記憶に定着させたい」という目的があり、「そのためにも大きなテキストを持ち運びできるサイズにする」必要があった。そのため、「要点と理屈をよく理解したうえで改めて組み立ててノートにした」のであった。
合目的的で、他に有効な手段がなければ、ノートを作るのはありではないだろうか。
「普遍化」の罠
何かを学ぶとき、似たような話がないかを考える、違う学問分野の知識を共通点があるなと関連付けるなどして、共通した構造を把握していくことが大事だという。
もちろん、これは重要なことで、普遍化によって自身の理解が深まることは間違いない。
しかし、インターネットの誤情報の類には、普遍化を悪用した牽強付会によって読者・視聴者を惑わし、誤った結論に誘導する手口が多くないか。
独学する中での普遍化は大いに結構。しかし、他人の「悪意の普遍化」に騙されないよう、一歩立ち止まって「それは妥当か?」と考える重要性が高まっているのではないだろうか。

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