2025/07/25

夏目漱石、未完小説『明暗』|この物語の結末、あなたならどう描く?男女の嫉妬とエゴが渦巻く結末なき物語

はじめに

漱石お得意の、男女の深淵に広がる漆黒の闇をこれでもかとえぐり出すドロドロ小説になるはず、だった。「こころ」や「虞美人草」のように。
しかし、執筆中に漱石は永眠。ゲス化寸前で突然終わっているのは返す返すも残念だ。

あらすじ

由雄が病院で診察される場面から始まる。由雄は痔が悪化して手術が必要だと宣告される。
由雄って一体誰なんだと思ったら、新婚の若い男性だったという…。
妻のお延とはどこかよそよそしく、しかも派手好みがたたり家計は火の車。由雄が手術費用を実家に無心するに至ってついに父親もキレ、援助を渋るようになる。

お延が奔走し、お延の叔父の援助を受けることになったのだが。
由雄には元恋人の清子がおり、ある日「偶然」に「再会」する。
お延も清子の影に気づき、夫婦の溝がますます深まると次の展開が…。

感想

これまで漱石が磨き抜いてきた、究極のエゴイストたちの競演とでも言おうか。
特にお延はプライドが高く支配的な面があり、かなりの恐ろしさを見せつけてくる。
しかしそれは、どこか隙間風がただよう新婚生活への焦りの裏面なのだが…。
そして緊張感あふれる会話と腹の探り合いがすごい。ときに「壮絶」と言ってもよいほどだ。

彼らが、どういう旅を経てどのような終点についたのか。ぶつかり合う場面が来るのか、破滅に向けて一直線なのか、それは想像するしかない。

こんな人におすすめ

漱石ならではの男と女のドロドロ劇が未完のまま終わっているという、比類のない特徴がある「明暗」。このような人にすすめる。
  • 夏目漱石の『虞美人草』『こころ』が好き

  • 未完の物語のその先を想像するのが好き

  • 緻密な心理描写や人間関係のドラマを読みたい

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2025/07/18

濱嘉之『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』|半グレ集団の抗争と警察内部のリアルを描く

警視庁の各セクションに散らばる同期同教場4人組が裏社会と対決するシリーズ第3作。

青山始め4人の同期カルテットは揃って警視に昇任し、所轄の課長として活躍していた。そんな中、青森県の大間から築地市場に送られたマグロの箱から男性の遺体が発見される。遺体は腹を真っ二つに裂かれ、内臓を取り出されていた。むごたらしく犯行を誇示するような手口。
復讐か、大陸系マフィアか。動機や犯人像を絞り込めない警視庁は青森県警に公安捜査官を派遣する。そして、被害者の所持品から大間原発や六ヶ所村再処理施設建設にまつわる利害関係を記したメモが見つかり大騒ぎになる。
ここから、同期カルテットの部署を超えた情報収集、捜査協力が始まる。

今回も、裏社会のアクター政治家・暴力団・中国は健在だが、そこに半グレ集団の東京狂騒会と龍華会(言うまでもなく関東連合と怒羅権がモデル)が加わる。

半グレ集団の成立、血で血を洗う激しい抗争から合従連衡に動くダイナミックな歴史は圧巻。現実でも警察は半グレ集団の実態把握に後手を踏んでいるが、その意外な理由は必見。また、今回も実在の政治家をモデルにした人物を登場させているが、一人は明らかに加藤紘一であろう(実際は息子ではなく娘に跡を継がせたなど、ディテールに違いはあるが)。

取調べシーンは今回も健在で、覚せい剤所持の現行犯で逮捕した世間知らずの国会議員をいたぶり自供に追い込むシーンも見逃せない。

今回も最初の殺人事件をきっかけに裏社会の悪事をいくつも解明し、一斉検挙するのだが、その後の公安部長の台詞がふるっている。

確かに三件の帳場が開いて、それぞれの戒名がついたが、どのマスコミもこれが一つの事件と報道していないんだよな。

それは警視庁がそう発表しているからだろうと突っ込みたくなるが、現実でもこういうことは起きているのではないか、特に「外国人マフィアの抗争と思われる」などと報道された瞬間に違う世界の出来事であるかのように錯覚し、関心を失っていることはないか、考えさせられる台詞である。

2025/07/11

濱嘉之『警視庁公安部・青山望 政界汚染』日本の闇と警察の戦いを描く傑作警察小説|東京警察病院の役割とは?

警視庁公安部の青山望たち警察学校の同期カルテットが、政財界・暴力団・外国の闇に斬り込むシリーズ第2作。

都内に複数の病院・介護施設を擁する有数の医療法人の理事長が、日本公正党の重鎮で厚生族の大澤純一郎(小沢一郎と小泉純一郎を足して2で割ったようなキャラクターか?)の引きで参院選比例区に出馬するところから事件が始まる。
市議に裏金をばら撒き、怪しげな選挙コンサルタントに大枚をはたいたものの惜しくも次点。政治活動から足を洗って病院経営に戻ろうとした矢先、当選した議員がひき逃げで死亡して繰上当選。同時に裏金を渡した議員もひき逃げで死亡し、選挙参謀だった事務長が消えた…。

今回も、病院経営に乗り出し数々の悪事を企み、産廃業者に乗り出し犯罪の証拠隠滅に利用する暴力団、スパイ機能を仕込んだルーターを日本で売りさばき、同じ手口で防衛機器を外国に売る中国、それを操る政治家の素顔、それぞれを追う4人の捜査が一点に収斂する。その様は青山の以下のセリフに凝縮されている。

日本社会の裏構造というかな、そこにメスを入れようとすると、政財界の暗い部分がどうしても照らし出されてしまう。

犯人を匿う病院に向かう刑事に東京警察病院の医師が同行し、病院の医師と面接して犯人を警察病院に転院させるシーンなど、小ネタも興味深い。

※ 東京警察病院は、中野駅近くの都市公園の一角にある総合病院。かつて陸軍中野学校や、警視庁警察学校があった場所である。

警視庁関係者を優先的に診療する一方、一般患者の外来・入院・手術・救急を普通に受け入れている。

他の病院と大きく違うのは、捜査協力という特別なミッションにある。

1995年に警視庁がオウム真理教の上九一色村の施設を強制捜査したとき、ここの医師が同行している。また、覚せい剤で逮捕された清原和博も逮捕直後一旦ここに収容された。

2025/07/04

主人公・青山望の魅力とは?濱嘉之『警視庁公安部・青山望 完全黙秘』から始まる本格公安警察小説

警視庁公安部のホープその名も青山望が、異なる部署で活躍する同期の絆を武器に、日本の裏社会と対峙するシリーズ第一弾。

財務大臣梅沢富士雄が、地元福岡にあるホテルのバンケットホールのこけら落としパーティーで刺殺された。犯人は逃げる素振りも見せずその場で逮捕。しかし、現職の大臣が厳重な警備体制の真ん中で暗殺される事態に、警備に当たった福岡県警と警視庁SPの面目は丸つぶれとなった。
しかも犯人は取り調べに完全黙秘。指紋も写真も警察のデータにヒットせず、氏名不詳のまま起訴された。

警察庁長官はこれを警察の威信を揺るがす事態と考え、警視庁刑事部と公安部に捜査を指示、公安部公安総務課の青山警部に背後関係の捜査が下命された。青山は、事件指導班の古参から警視庁管内の公務執行妨害事件で完全黙秘を貫いた男のことを聞き、その追跡記録に当時解明できなかった裏社会の闇を見出す。

ここから、公安・組織犯罪対策・刑事に散らばる同期4人のカルテットが情報交換しつつ、日本の裏社会が蠢く事件の背景に迫っていく。しかし、同期カルテットはあくまで警視庁の、各部の一員として動く。上司に適切に報告するし信頼も篤い。組織を壊すようなスタンドプレーもしない。そのような組織捜査によって裏社会のつながりと犯罪事実が次々と暴かれるプロセスがリアルで非常に面白い。また、強制捜査後の取調シーンも見物。じっくり味わいたい(朗読するのもよいw)。

同じ著者のシリーズに「警視庁情報官」がある。どちらも警察捜査の実態をリアルに描写し、事件の背景に実話と思しきエピソードをモデルがわかるように潜らせている。警視庁情報官シリーズは主人公の黒田が特に目立ちそのプライベートもストーリーの重要な一部をなすが、本シリーズは同期4人の事件捜査ぶりを柱に据え、警察組織や人事、組織間の微妙な関係を絡めてストーリーが動く。警視庁情報官シリーズとは違う角度から警察を眺める面白さを味わえる。

2025/06/27

【最終章】濱嘉之『警視庁情報官 ノースブリザード』北朝鮮・中国工作員と日本のスパイ網を暴く|物語の構成と政治的視点に本音で迫る読後感

はじめに

警視庁情報室のトップとして数々の公安・外事事件を解決してきた黒田室長シリーズの最終章。

あらすじ

第一次トランプ政権の時代、トランプとロケットマンこと金正恩はお互いを罵り合う。
世界は子供じみた言い争いに半ば呆れながらも、いよいよ斬首作戦発動かと固唾を飲んで見守っていた。

北朝鮮の蠢きの再開

その頃黒田は北朝鮮が少し前からラジオで日本に向けた暗号放送を再開していたことを気にかけていた。
このことは、北朝鮮が日本に潜伏する工作員に対して指示を出していることを意味するからだ。

そして、金正恩の叔父の張成沢が粛清されてから、工作員の亡命が増えていたことにも気づいていた。

黒ちゃんのヒューミントが炸裂

ここから、黒田のヒューミントが始まる。

北海道出身で息子に地盤を譲った大物代議士、かねてからのロシアの情報源だったロシア通商代表部のロジオノフ、モサドで昇進した旧友クロアッハらと濃密な情報交換をする。

また、情報室のメンバーのよるシギントでも、四井重工や金沢島造船に中国・ロシア・北朝鮮からハッキングの痕跡が見つかり、その元をたどると驚くべきハニートラップの実態が判明する(ここでチラつく女性代議士はおそらく辻元清美だろう)。

さらに、黒田が万世橋署長時代に尾行した人間や、行きつけの飲み屋で聞いた情報も意外な展開を見せる。

こうして、黒田と情報室は、今回も日本を狙うスパイ網の姿を浮かび上がらせる。

感想

情報過多でストーリーのまとまりが…

残念ながら、この最終章は、小説としての面白さをそれほど感じられなかった。
それとなく語られる裏情報は今回も豊富で、それはそれで楽しめる。

しかし、限られたページ数にこういった情報や、黒田の後輩へのメッセージの語りがぎっしり詰め込まれてしまった。結果、数々の情報とエピソードがバラバラに存在する印象が強くなった。

事件捜査も偶然によって重要な展開がもたらされる場面が多くなり、ストーリー性が弱い感が否めない。

あまりにもナイーブな安倍晋三礼賛と危険な愚民観
(シリーズを通して)

シリーズ最終章なので、シリーズ全体の感想。
各巻の事件設定や、その中で語られる情報には、現実の「モデル」が想像しやすいものが多く、そこは毎回楽しめる。

しかし、毎回出てくる国内政治談義は、あまりにもナイーブな安倍晋三礼賛で鼻白む。
警察、それも公安なら岸信介から安倍晋太郎、晋三へと連綿と続いてきた統一協会(このシリーズでは世界平和教)との関係を知らないはずがない。しかし、一言も出てこない。それは偏向が過ぎるというものだろう。

また、黒田の語りからは、上から目線の愚民観が色濃く感じられた。これが公安に瀰漫しているとすれば、それは危険だと言わざるを得ない。

こんな人におすすめ

本作は派手なアクションや謎解きよりも、地道な情報収集や分析が中心。華やかさより、リアルな公安活動の息遣いを感じたい人、「警察のヒーローがかっこよく事件を解決する」という小説に飽きた人には最適。

こんな方に特に勧めたい。
  • 警察小説の中でも、特に「公安」や「インテリジェンス」の世界に興味がある

  • 元警察官が書いた、リアリティのある物語を読みたい

  • すっきり解決しない物語に、逆にリアリティを感じる

  • 小説の登場人物・団体の実在のモデルが気になる

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